simama

simama

simama : 立つ、立ち上がる、止まる、停まる

座っていたものが 立ち上がる、あるいは動いていたものが 止まる と、なんとなく正反対…みたいに感じてしまう動詞です。

例文;
Gari linasimama likimaliza petroli.
車は、ガソリンが尽きたら止まる。

simama が日本語のシマウマと似ているから、観光客が「あっ、シマウマ!」と叫んだら、ドライバーは「Simama! 止まれ!」といわれたと思って停車してしまう。
こんなこと、お聞きになったこと、おありですか?

私の経験ではなかったですねぇ、そんなこと。
初めて行った80年代の初め頃でも、なかったように記憶しています。
日本人観光客が増えた80年代後半から90年代になれば、動物の名前を日本語で言えるドライバーも増えてきたので、なおのことなかったです。

ただ、この冗談はドライバーたちも知っていて、私にウィンクして車を止めるお茶目なドライバーもいましたから、実際にあったことかもしれないし、完全に旅行業者の創作かもしれないし…

でも、私は懐疑派です (^o^)ハハハ
というのは、Simama! という命令形だと、走っている/歩いている人に止まれ、あるいは座っている人に立てと命じる言い方になります。
「車を止めよ」と命じる形なら Simamisha (gari)! となるべきなので、話ができすぎているんじゃないの…と感じてしまいます。

それに、simama は si の音で、シマウマは shi の音と、全く違う音ですから。

 

2013年2月24日 | カテゴリー : S 始まり | 投稿者 : nyamburra

sukuma

sukuma

sukuma : 押す

物理的に物体を押すだけでなく、精神面での後押しも表します。

例文;
Alinisaidia kulisukuma gari langu lilipokwama kwenye matope.
私の車がぬかるみでスタックしたとき、彼は押してくれた。

最近はあまり見かけなくなりましたが、昔は、押さないとスタートしないような車も結構ありました。

家に駐車スペースのない人や、あっても治安面で不安が残るなどで、ウォッチマンがいるところに駐車する人も多かったです。
月極で支払うのではなく一晩いくらで駐めていましたが、彼らが座っている場所の近くや、明かりの下に駐めたければ、時々はチップを渡してやる必要がありました。

ある時、一緒に出かけた帰り、夫が明かりの下ではないところに車を止めるのでおかしいなと思ったら、「昼間、車の調子が悪かったので、明日の朝、スタートしなかったら困るのでこの場所に駐める」といいます。

見れば、そこは、土が盛ったように少し高くなっているのです。
なるほど、スタートしなかったら、ここなら力を入れて押す必要もないようです。

「でも、ここ、ちょっと暗いよ」と私が言いかけたとき、夜警がそばに来ました。
夫はその人にお金を渡して、イスを近くに持ってきてそこに座るようにといいました。

翌朝、うちの車は問題なくスタートしたそうですが、いつもそこに止めてあった車が、実はスタートしない車で、朝、夫が車を取りに行ったとき、ちょうどその人も来ていたそうで、後押しを手伝わされたそうです。

結局押しているやないかぁ。 (^o^)ハハハ

 

2013年2月14日 | カテゴリー : S 始まり | 投稿者 : nyamburra

fanicha/saman

fanicha/saman

fanicha/samani:家具
 
机やタンス、テーブル、棚などの総称としての 家具 を指します。
 
例文;
Seremara hutengeneza samani.
家具職人は家具を作る。
 
家具は、できあがった物を買うだけでなく seremala 家具職人にオーダーして作ることも出来ます。
材質を選び、好みのデザインとサイズを伝えて作ってもらうわけです。
これは、なかなか危険をはらんだ買い物です。
時として思わぬできあがりになります。
 
でも、サイズもデザインも好み通りというのは、旨くできあがってくれば、本当に嬉しいです。
 
seremala という単語は、辞書では 大工、carpenter として出てきますが、スワ・スワ辞書で確認すると 木製の家具を作る職人、つまり 家具職人 として説明されています。

 

simu

simu

simu : 電話

携帯電話simu ya mkononi といいます。

例文;
Nilipokea simu yake jana.
昨日、彼から電話をもらった。

東アフリカの携帯電話の普及は、本当にあっと言う間でした。

つい数年前までは、携帯を持っている人はまだまだ少なく、持っているというのは大変なステータスだったようで、レストランやバーのテーブルの上に “さりげなく” を装いながら、その実 “これ見よがし” に携帯を置いて話している人たちを、よく見かけたものでした。
その当時はまだまだ機器そのものも大きくて、固定電話の子機かと思うほどでした。

それが、あれよあれよという間に、持っていない人を探すのが難しいほどに行き渡りました。
機器もどんどん小さくなって、ストレートタイプでも日本の二つ折りのものよりも小さいぐらいのものもたくさんあります。

元々、固定電話を申し込んでもなかなか開通しないという下地がありましたし、既設の電話も、雨が降ればケーブル浸水で不通というようなことも多かったので、携帯にワッと飛びついたのは無理からぬことだと思います。

新しい携帯を手に入れるのも簡単です。
たぶん、月払いではなくプリペイドの利用者の方が圧倒的に多いだろうと思いますが、身分証明書もなにもいりません。
お金を払って “SIMカード” と呼ばれるチップを買えば終わりです。その場で使用開始 (^_-)v

プリペイドのカードも、一番安いものなら日本円で数十円からあります。
金額に応じて有効期限があって、安いものは当然短いのですが、それでも、料金を使い終わったあともまだ受け待ちできる期間が残りますから、みんな上手に計算して使っているようです。

フラッシュ(日本で言うワン切り)もよく使われます。
相手の携帯を鳴らして、かけ直してくれるのを待つわけです。
子供が親にかける場合は、たいていこれではないかと思います。(^o^)ハハハ

でも、子供の方が親世代よりも新しい機種を持っているのは日本と同じです。

カードの残額を、他の携帯に送ることもできます。
子供がフラッシュしてきてかけ直したら、「お金送って」っていうこともよくあるようです。

携帯の普及で便利になったことを上げるとすれば、私ならタクシーを推します。
無線を積んでいないので、本来なら呼び出すことができないのですが、携帯のおかげでお気に入りのドライバーを呼び出すことができます。
タクシーやトゥクトゥクのほとんどが、車内に携帯の番号と名前を書いてあります。

2005年、陸路でナイロビからタンザニアのダレサラームまで行きましたが、道路沿いに携帯のアンテナがたくさん建てられていました。
どんな田舎でも携帯が通じるんだと思うと、昔、国立公園内のロッジには電話がなかった時代が嘘のようでした。

国立公園と言えば、今は公園内でも携帯が通じるところがたくさんあります。
2012年にマサイマラへ行ったときには、ロッジは山陰になって携帯が通じなかったのですが、ゲーム・ドライブに出ると通じました。
別な車のお客は、ライオンを見ながら誰かにそれを電話連絡していました。

 

2013年1月28日 | カテゴリー : S 始まり | 投稿者 : nyamburra

suka

suka

suka : 振る、揺する

瓶や箱を振ったり、揺すったりする動作を表します。

例文;
Ukiisuka pakiti hii utagundua ina nini ndani.
この小箱を振ってみれば、中に何が入っているか分かる。

どの単語も意味が一つだけだったら簡単ですが、複数の意味があるのでトンチンカンなことをいったりして笑われます。

この suka も、編む という意味しか知らなくて、缶を suka すると言われたとき、空き缶を使って何か作るのだとばかり思い、怪我しないようにねと言いました。

お手伝いさんは不思議そうな顔をしました。
彼女は、調理用の油がまだどれぐらい残っているか知るために缶を振ってみるといっていたのです。

意味が分かったときは大笑いしました。

今でも売っていますが、空き缶を使ったランプがあるのです。
火屋のついた本物のランプではなく、簡易ランプとでもいうようなもので、あまりじっくり見たことがないのでよく分からないのですが、芯だけが顔を出していたように思います。

キオスクの男の子が停電の時に使っていたのを見ていたので、空き缶のランプの存在が頭にあったから、缶を sukaすると聞いたときは、空き缶を細く切って何か小物入れでも作るのかと思ってしまいました。

 

2013年1月18日 | カテゴリー : S 始まり | 投稿者 : nyamburra

shule/skuli

shule/skuli

shule/skuli:学校
 
学校を表す単語は他にもあるのですが、ごく一般的に使われるのは、ドイツ語からの shule と、英語からの skuli ではないかと思います。
 
例文;
Shule yetu ya msingi ina madarasa kumi na mbili.
私たちの小学校は12学級ある。
 
タンザニアでは skuli という言い方はほとんど耳にしませんでした。
逆に、ケニャではほとんどの人が skuli と言っていたように感じます。
 
タンザニアはもともとドイツの植民地で、ケニャはイギリスの植民地だった。
そういう歴史がスワヒリ語にも反映しているようです。

 

2013年1月6日 | カテゴリー : S 始まり | 投稿者 : nyamburra

saa

saa

saa : 時計、時、時間、時刻

機械としての 時計 と、その機械が表す の両方を指します。

例文;
Baba ataninunulia saa kama zawadi.
父はお祝いに時計を買ってくれます。

Tutaondoka saa ngapi?
何時に出かけますか?

何時 と尋ねるときは saa ngapi? といいますが、時計がいくつあるのか尋ねるのも、同じく saa ngapi? になります。

連れ合いは、私から時間を尋ねられて、あまり答えたくないときは Saa moja tu. と答えます。
意味は「時計は一つだけだよ」。
これもおやじギャグの極みですよね。kao-acha

スワヒリ語の時間は、私たちが普段使う西洋式の時間とは6時間のずれがあります。

じゃぁ、時計の針はどんな風に合わせているのかというと、西洋風に合わせてある場合と、スワヒリ語の時間通りに合わせてある場合があります。

我が家の場合は、娘達が小さかった頃、時計の読みを教える時も、西洋式に合わせたままにしてありました。
英語での読みとスワヒリ語での読みを同時進行で教えましたが、特に混乱もなく覚えました。
家庭によっては、スワヒリ語の読みを教えるときには時計をセットし直したりもするようです。

私は旅行中にはダブル・フェイスの腕時計を使うことがあるのですが、その場合は西洋式の東アフリカ時間と日本時間をセットします。
ところが、この時間差がまた6時間ですから、現地の人は、私がスワヒリ時間をセットしているのだと思っています。

 

2012年12月13日 | カテゴリー : S 始まり | 投稿者 : nyamburra

suka

suka : 編む

髪やバスケット、マットなどを編む動作を表します。

例文;
Msichana huyu anajua sana kusuka nywele.
この少女は髪を編むのが上手だ。

セーターを編むのは fuma ですが、shona 縫う を使う人もたまにいます。

髪は、学校へ行っている子どもたちの、ごく簡単な編み方の場合は、親や姉妹、あるいはお手伝いさんなどが編んでやる場合も多いですが、凝った編み方の場合はむろん美容院というか、髪結い屋さんへ行くことになります。
複数の人で編んでも、丸二日かかるような髪型も少なくないようです。

私が使っていたお手伝いさんで一人、とても上手に髪を編む人がいました。彼女がうちにいる間、うちの娘たちは美容院へ行かずに家で彼女に編んで貰っていました。私としては内心、美容院代がいらないからラッキーと思っていました。

別なときには、大家さんが隣に住んでいて、そこの娘さんが上手だったので、娘たちはその子に毎週編んで貰っていました。

髪型にも流行があって、名前がついていたりします。
ある時、下の娘が大家さんの娘さんに編んで貰ってきた髪型…
名前は Kilimanjaro upande  というそうで、片方の耳の後を出発点に、頭の周りをぐるぐる回って頭頂部まで一続きに編んであって、それがキリマンジャロに登っている感じを表したもののようですが、私は違う名前をつけました。
 蚊取り線香

だって、どう見ても蚊取り線香だったんです
思わず口に出してしまったら、それはスワヒリ語でなんというのってしつこく聞かれ dawa ya mbu と教えたのですが、、、
半泣きになった彼女、とうとう翌日にはお手伝いさんに解いて貰っていました。

 

2012年11月10日 | カテゴリー : S 始まり | 投稿者 : nyamburra