safiri

safiri

safiri : 旅する、旅行する

名詞の safari とはスペルが違うので注意が必要です。

例文;
Nataka kusafiri Afrika kote.
私はアフリカ中を旅行したい。

旅をするって、言葉を聞いただけでもワクワクしますよねぇ。
知らない土地を訪ねる。
耳慣れない言葉を聞く。
初めての味にとまどう。
本当に旅っていいですねぇ。

東アフリカを旅していると、時々、こんなところを歩いている! って驚かされるときがあります。
家も見あたらないようなところを黙々と歩いているのです。
旅なのか、ちょっとした外出なのか…

一度、夫の車で走っていて、ヒッチハイクのマサイを乗せてあげたことがあります。
車といってもピックアップだったので、荷台に乗せてあげたのですが、気になってチラチラ振り返ってみていました。
そのマサイさん、後の窓を開けてくれと頼んできました。
理由は、音楽を聴きたいのだとか。
私たちは日本語の歌を聴いていたのですが、音楽に合わせて体を揺すっていました。

車を降りたとき、どこまで行くのか尋ねたら、ここから数キロ先の仲間の家に行くとか言っていました。
まだ数キロねぇ…。

 

2013年5月30日 | カテゴリー : S 始まり | 投稿者 : nyamburra

pasua

pasua

pasua : 割る、引き裂く、引き破る
 
薪を割ったり、布や紙を引き裂くような動作を表す動詞です。
 
例文;
Hamisi alipasua kitabu chake.
Hamisiは自分の本を引き裂いた。
 
日本語で、怪我をして 額を割る みたいな言い方をしますが、この場合の割るにも使えます。
 
あるいは、髪に分け目を入れる、あの 分ける にも使います。
 
唇が乾いて割れる という場合は pasuka となってきます。
 
pasua が 割る という 行為 であるのに対して、pasuka のほうは 人為的なものを必要とせずに起きる動き を表します。
 
お手伝いさんがものを割ったり壊したりしたとき、かならず pasuka 割れる とか vunjika 壊れる と表現するので、私はいつもイライラしていました。

だって、ものが勝手に割れたり壊れたりするわけはないんだから、あんたが壊したんだろう! って。

 

2013年5月26日 | カテゴリー : P 始まり | 投稿者 : nyamburra

maziwa

maziwa

maziwa : ミルク、牛乳

動物が出すミルクと、植物が出す乳液、両方を指します。

例文;
Mtoto yule ananyonya maziwa ya mama yake.
あの子は母親の乳を飲んでいる。

東アフリカの人は maziwa lala と呼ばれる ヨーグルトも大好きのようです。

これは買ってくるだけでなく、新鮮なミルクがあれば自宅で作ることができます。
ヨーグルト菌など面倒なものはいりません。
買ってきたミルクを冷蔵庫などに入れずに放置すれば良いだけで、翌日にはできあがります。

タンザニアに住んでいた頃、夫と私、まだ小さかった娘二人の4人家族で、毎日2リットルの牛乳を消費していました。
半分は chai ya maziwa ミルク・ティー 用で、残りの半分はヨーグルト用です。
娘たちは夕方のおやつの時間に飲ませていましたが、大半は夫が消費していました。
特に、お酒を飲んで帰ってきて、食事が欲しくないときなど、好んで飲んでいました。

初めて夫の田舎へ行ったとき、彼が舅や義兄たちと家の中で話している間、私は姑や義姉たちと中庭でお喋りしていました。
義姉たちが「ミルク、飲む?」って聞いてくれたのでハイと答えると「お砂糖は?」と重ねて聞いてくれました。
私は、ミルクにお砂糖を入れる習慣はなかったのでいいえと答えました。
出されたミルク、なんとなくモロモロの感じ…。
そして口に入れると酸っぱい…。
でも、姑も義姉たちも気にせず飲んでいるので「腐ってます」とも言えないし…。
いっそお砂糖を入れて貰っていれば、紛らわせて飲んでしまうこともできたのにと悔やまれました。
「美味しい?」 と聞かれて「はい」といいつつ、グラスの中身は減っていきません

夫が出てきてグラスを目にして、「ミルク貰ったの!」っていいます。
ここは夫に頼るしかありません。
「お姉さんたち飲んでいるけれど、腐っているみたい」 というと、「違うよ、これはヨーグルトなんだ。飲めないの?」というではありませんか。
というわけで、残りは夫に飲んで貰いました。
義姉たちは、慣れない人はお砂糖を入れたがるけれど、あなたは慣れているんだと思ったわと大笑いしました。

舅は当時七十代でしたが、どう見ても六十そこそこにしか見えませんでした。
そして八十いくつで亡くなりましたが、若さと元気の源はこのヨーグルトだと、舅自身も夫も言っていました。

私も、その後、自宅でも作るようになって大好きになりました。

 

2013年5月22日 | カテゴリー : M 始まり | 投稿者 : nyamburra

kata

kata

kata : 切る
 
kata には、いくつかの名詞としての意味もありますが、ここでは動詞を取り上げます。
 
例文;
Kwanza tukate nyanya na vitunguu.
先ず、トマトとタマネギを切りましょう。
 
この kata という動詞は、基本的には 切る という意味なのですが、刃物で切る以外に、何かの一部を 取り去る というような意味もあります。
例えば サラリーが kata された、という場合は 減給になった という意味ですね。
 
その他にも、慣用句として使われる中で、決める、諦める、終わらせる など、様々な意味が出てきます。
慣用句の辞書の1冊では、kata ~ というのが30も出てきます。
 
私のもう一つのブログ スワヒリ語 あれやこれや では、慣用句や比喩表現などをご紹介していますので、覗いてみてください。

 

2013年5月18日 | カテゴリー : K 始まり | 投稿者 : nyamburra

spinachi

spinachi

spinachi:ホウレンソウ

東アフリカでもポピュラーなお野菜です。

例文;
Jioni tupike spinachi.
夕飯はホウレンソウにしましょう。

東アフリカのホウレンソウは、日本のものよりも葉が広く、歯触りもかなり違います。
色合いも、かなり明るいグリーンです。

nyanyaトマトやkitunguu saumuガーリックと一緒に炒めたり煮込んだりします。

スペルからすぐに分かるように英語から来た単語です。
spinach → spinachi

外来語は、語尾にこのようにiが入るものが多いです。

ネットで観葉植物をよく買い求めますが、あるとき買ったお店は、笑っちゃいました。
私が買ったのは ブラックキトンというものなんですが、これをなんとそのお店、”ブラッキキトン”って書いてあったんです。

私、思わず「スワヒリかい」って突っ込んでしまいました。

 

2013年5月14日 | カテゴリー : S 始まり | 投稿者 : nyamburra

punga

punga

punga : 手を振って合図する

別れの挨拶や、遠くにいる人に挨拶するのに手を振る、あの行動です。

例文;
Nilimpungia mkono kwa mbali.
私は遠くから彼に手を振った。

この動詞は、手を振る相手が絶対に必要ですから pungia の形で使われることが多いです。

東アフリカで車に乗っていて驚くのは、運転している人が対向車とよく手を振り合うことです。

遠くから、あれは友だちの誰それって分かっていて、手を振るのです。
無論、車種や色で判断できているというのも多いのでしょうが、違う車に乗っていてもよく判るんです。

一般の人でそうですから、サファリ・クルーザーのドライバーとなると、もっとよく判るみたいです。

私が大好きなドライバーがいるのですが、ある時、別なドライバーとサファリしていて、ナイロビへ戻っていく彼とすれ違いました。
無論私は見分けようもなくって、過ぎてしまってから連れ合いから「今のはルテーレだった」と聞かされて、残念がったのです。
連れ合いがドライバーに、私とルテーレが大の仲良しだと説明をしてくれたのですが、後の祭りです。

翌々日、私たちがナイロビへ戻っていく日。
遠くから来る車を指してドライバーと連れ合いが「ルテーレだ!」って。
ライトをフラッシュさせて合図して止めてくれました。

運転席から私を見つけたルテーレがすぐ下りてこちらに来てくれました。
この前、連れあいが乗っているのには気がついていたけれど、私が乗っているとは思わなかったと言って、再会を喜んでくれました。

マサイの視力5.0は眉唾だと思っている私ですが、「とても視力が良い人」が多いのは事実のようです。

 

2013年5月10日 | カテゴリー : P 始まり | 投稿者 : nyamburra

mvulana

mvulana

mvulana : 男の子、少年
 
日本語の 少年 よりもかなり上の年齢層まで含む場合もあります。
 
例文;
Mtoto wake wa kwanza ni mvulana.
彼の最初の子どもは男の子です。
 
これも msichana 同様に ボーイフレンドを指したりもします。
また、kijana 青年/若者 と重なる部分もあります。
 
日本語では 幼児 → 少年 → 青年 と進んでいきますが、muvulana も kijana も、幼児に対して使うこともあり、mvulana が30代半ばの男性を指す場合もあります。
 
この mvulana に対する呼びかけも、相手が幼ければ Kaka でもOKですが、日本人の感覚で少年期の後半、あるいは青年期の人なら Bwana と呼びかける方が無難でしょう。
 
また、よそのお宅の使用人に呼びかける場合も、若ければ Kaka、そこそこの年齢の人なら Bwana の方がベターです。

 

2013年5月6日 | カテゴリー : M 始まり | 投稿者 : nyamburra

msichana

msichana

msichana : 女の子、少女

まだ結婚していない女の子を指す言葉です。

例文;
Msichana yule anakwenda sokoni kununua mchele.
あの少女は市場へお米を買いに行きます。

msichana wake といった場合には、彼のガール・フレンド の意味で使うこともありますし、彼の娘 という場合もあります。
前後から判断する必要がある言葉は要注意ですね。

お手伝いさんを msichana wa kazi といったりもします。

じゃぁ、この msichana に呼びかけるときはどういえばいいのでしょう。

例えば;よそのお家へ伺って、そこのお手伝いさんにものを頼みたいような場合なら、Dada あたりで良いと思いますが、完全に大人の人の場合は Mama と呼びかける方がいいかもしれません。

もし、誰かのガール・フレンドである場合、結婚していないが一緒に住んでいるなどの実績がある間柄なら Mama がいいでしょう。

日本では「おばさん」と呼ばれるのを嫌って、いい年をした人でも「おねえさん」と呼ばれたがるようですが、小学校低学年ぐらいの子ならともかく、ハイスクールにでも行ってそうな女の子に対して Dada呼ばわりは失礼なときもあります。
Mama あるいは Anti の方が無難なこともある、というのは記憶しておいた方がいいでしょう。

 

2013年5月2日 | カテゴリー : M 始まり | 投稿者 : nyamburra